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マネジメントの力で良くしてみよう

マネジメントには物語がある

マネジメントには「物語がある」と感じます。マネジメントは、「人が何かをやり遂げること」であるため、その経験はまさに物語です。

今回は、マネジメントに取り組むことは、人生に物語を描くことになる、というお話です。

 

マネジメントを「管理すること」と誤解している場合には、物語というよりも、義務や労働というイメージが強いでしょう。しかし、本当のマネジメントは、それ自体が物語なのです。正確に言うと、マネジャーに限らず、人が心から何かを望み真剣に取り組むとき、そこには自然と「物語がある」と感じるのです。これについては、説明するよりも事例を見て頂きながら、感触をつかんで頂きましょう。

私がプロジェクトでご一緒した、いわゆる中間管理職の名もなき英雄たちの事例をご紹介しましょう。

 

事例:マネジャーがあるべき姿の背景を語る

堂々と名刺交換させてやりたい

あるメーカーの営業本部長の話です。マネジメントの現状を一緒に分析していると、本部長は部署が置かれている現状について諦めとも取れる発言をしました。

「このエリアは、競合他社の本社があるところだから(自社が強い)東京のようにはいかないのは仕方がないんですよ。何と言っても、ここではウチの知名度はほとんどないんですから・・・。」

そこで、私は質問をぶつけてみました。

「それでいいのですか? 本来はどうあるべきとお考えですが?」

「・・・」

本部長は、はっきりとはお答えになりませんでした。日を改めてプロジェクト目標の設定について議論していると、語気を強めながら、その本部長は次のように話しました。

「あれから、どうあるべきかと考えたんですが・・・プロジェクト目標は(前年比130%水準の)20億円にします。先日、久しぶりに商談に帯同したのですが、肩身が狭そうというか、自信なさそうというか、とにかく、部員が小さくなって名刺交換をしているんですよ。そこで、『なぜそんなふうにしているんだ?』と聞くと、『うち(の会社)はあまり知られていないんで・・・、」なんて言うんですよ。もう辛くて。私が『このエリアに競合の本社がある』なんて言い訳しているからこうなるだ、と思いましたよ。やっぱり、いつまでもこのままじゃ悔しいですよ。この地域でも王道を歩むメーカーでありたい、取引先に認めてもらいたいんですよ。だから一日も早く堂々と部員に名刺交換させてやりたい。部員が光り輝いて勝ち抜く軍団にしたいんですよね。光り輝くためなら何でもやりますよ。年間30%くらいは売上を上げないと。だから今期は20億円の売上を達成するんです!」

非常に力強い言葉でした。この後、本部長は部下である所長を集め、熱く想いを語っていました。

 

お荷物のような存在はもう嫌だ

もう一つの事例です。ある企業の関西営業所では、開設以来、単月で一度も営業黒字を出したことがないという状態が続いていました。所長会議では「関西の赤字は別の地域で何とか取り返す」という会話が自然と交わされていて、何となくお荷物のような位置づけになっていました。その所長が出して来たプロジェクト目標の案は、なんと「営業赤字5百万円(単月)」というものでした。

「なぜそのあるべき姿なのか」と聞いてみても、下記の答えが返ってくるだけでした。

「出来てもこれくらいがやっとかと・・・」

この企業ではこれまでも一生懸命改善に努めてコスト削減を進めてきたので、もう減らすものがないというのが多くの人の認識でした。また、これまで関西営業所の所長は本社から赴任してきた人がその職に就いており、2~3年で異動になっていたので、所長自身も「あともう少しで本社に帰れる」という認識があるように見えました。また営業所のスタッフにも、「どうせまたすぐに新しい人がくる」という雰囲気がありました。確かに、「営業赤字5百万円」という目標でもこの営業所にとって実力水準以上のものであったかもしれませんが、仮にそれが実現できたとしても魅力も感じませんし、何かが変わるとも思えませんでした。

そのようななかで、私は何度も問いかけてみました。

「この目標を達成すると営業所のスタッフにとってどんな良いことがあるのですか?」
「所長に就任したときに何を実現したかったのですか?」

議論を重ねるていると、所長が静かに重々しく言いました。

「もう赤字はご免ですね。お荷物のような存在も嫌です。『絶対に自分たちで稼げる営業所にする』と思ってきたのに、どこかに忘れていました。・・・営業利益黒字化を目標にします。」

この後、所長は「結果が出るまで本社には戻らない」という決意でご家族を関西に呼び寄せるとともに、スタッフ全員と毎日のように「どうすれば営業黒字を達成できるか」について聞いて回りました。
後日、所長に質問してみました。

「プロジェクト目標はどのように部下に説明したのですか?」

すると、その所長からは次のような答えが返ってきました。

「特別なことは言っていません。この前お話ししたことと同じですよ。『もうお荷物は嫌だから営業黒字を目指すよ』って。ただ、こっち(関西)のことはよくわからないから、『みんな協力して欲しい。取引先のこととかいろいろ教えて』とお願いしました」

この営業所がプロジェクト目標を達成したのは言うまでもありません。

 

あなたの人生には、どういう物語がありますか?

ご自身の物語を吐き出してみましょう。

この続きは、また次回

 

あるべき姿とありたい姿

今日は、「あるべき姿」という言葉について考えてみます。

以前、企業変革プロジェクトの現場で、あるマネジャーから次のようなことをお願いされました。

「『あるべき姿』という言い方は、『すべきだ』という義務というか価値の押し付けのようなニュアンスがあるので、どうも使いたくない。『ありたい姿』という呼び方をしたいのですが、ダメですか?」

そのときは、「『あるべき姿』という言葉に、そんなニュアンスを感じるのか」と不思議に感じました。
日頃からどういう言葉を使うのかは非常に重要で、それだけで将来が大きく変わると思っているので、あくまで「あるべき姿」を使っていただこうかと思いましたが、一方で、「ネガティブに捉えられるなら、まあ、それでもいいか」という考えもありました。念のため、「明日、お答えするのでもよろしいですか」とだけ答え、その夜、ずっと考えてみました。

結論として出てきたことは、やはり「あるべき姿」でなければならないというものでした。そのときの理路をただって見ると、以下のような感じでした。

 

「あるべき姿」と「ありたい姿」、この2つの言葉から感じる意味を大切にしよう。違いをはっきりさせて、マネジャーが描く想いを忠実に表わしているのは、どちらなのか。これで判断しよう。

「あるべき姿」には、必ずそうなるはずだ、理の当然として、そうでなくてはならないという気持ちで判断する態度を前提とする。一方で、

「ありたい姿」は、そうなったら嬉しい、そうしたいという願望や欲求が前提になっているように思える。

 

両者の違いは、その姿への態度だと思う。「あるべき姿」は実現することが当然で、それ以外の選択肢は受け入れない。「ありたい姿」は、実現できたらいいなというもので、別の願望や欲求との比較で優先順位が決まる。

マネジャーが想い描く未来というのは、願望や欲求とはちょっと違う。達成責任を負う立場でありながら、実現が簡単ではない水準まで引き上げて、「やる」と決める。そこには覚悟のようなものが必要になる。なぜなら、一人でやるのではなく、部下をはじめとする協力者を巻き込まなくてはならないから、誰よりも想いに忠実であり続けなければならない。そのためには、成果をあげるためには何でもするという決意や意志、使命感とも思える力で突き動かされる、そういうものでなくてはならない。
自分が望むことを優先してやっていて果たして、大きな成果が出るであろうか。苦手なこと、面倒なこと、どうしていいかわからないことが壁になって現れたとき、「ありたい姿」が、そういう難しい思いに負けたりするのではないか。

 

こんな感じだったと思います。次の日、「やっぱり『あるべき姿』でないとダメです」とそのマネジャーに伝え、上に書いたようなことを伝えると、意外にもすんなり納得してもらえました。言葉を大切にする方でしたので、「そうであれば、逆に、『あるべき姿』でなければなりませんね」という答えでした。

他から持ってきた言葉を何となく使うというのはダメですね。その言葉に何の力もないからです。重要なのは、自分たちで定義することだと、つぐづく思いました。

おかげで、これ以来、私のなかの「あるべき姿」という言葉に、より大きな力を感じるようになりました。

ということで、マネジャーは、自分が率いる組織の「あるべき姿」を描きましょう。

あるべき姿を描く

マネジャーは「どうしたいのか」という想いをよく知っておかなければなりません。その「想い」とは、任された組織の「あるべき姿」です。
「目標」という使い慣れた言葉で呼んでいいのかもしれませんが・・・。いや、やっぱりダメですね。「あるべき姿」です。意味合いは似ていますが、何より「目標」という言葉には、すでに苦悩を思い起こさせるイメージがこびり付いているように思えてならないからです。


すべてのマネジャーが例外なく、あるべき姿を描かなければなりません。あるべき姿を描かないということは、実現すべき成果を決めないことになりますので、マネジメントしていることにはなりません。

あるべき姿を描くことは、無数に考えられる未来から、「到達したい」と望む一つの地点を決めることです。描いたあるべき姿によって、未来が大きく変わります。それくらい重要なことです。

そんな重要な「あるべき姿」ですが、厄介なことに「あるべき姿」は、無数に描くことができ、どれが正しいなどとは言えません。それは、「あるべき姿」が価値観の表れであるため、唯一絶対的な正解などないのです。人道的、法律的に受け入れられないことを除いて、誰かが描いたあるべき姿について、それが「間違っている」とか「正しい」などと言うことはできません。そのため、会社がどうあるべきかについて経営者が決めなければなりませんし、部門がどうあるべきかについては部長が決めなければならないのです。

この点について、先人の素晴らしい言葉をお借りしましょう。ノーベル経済学賞を受賞したハーバート・A・サイモン教授は著書『経営行動』のなかでわかりやすく表現しています。

 

世界が実際にどうであるかという知識の集積は、それだけでは世界がどうあるべきかを教えてくれない。どうあるべきかを知るためには、われわれはどのような世界が欲しいのかをすすんでいわなければならない。

 

あるべき姿を描くとは、心から実現させたいことを決めるということです。実現させるために必要なことは何でもすると思える程のものです。もし、心から実現させたいと思える程のあるべき姿が描けない、もしくははっきりしないというのであれば、じっくりと自分の想いと向き合わなければなりません。これはマネジャーとして他者に絶対に任せることができない務めなのです。

「心から実現させたいこと」を決めるのは非常に難しいです。それまでの人生を振り返って、「あのとき、どうしてあういう選択をしたのか」とか「今までで一番、心が高ぶったはいつだったか」などと考えながら、何となく見い出せるものです。この作業を省略することはできません。なぜなら、自分自身が「何としても実現させたい」と思えていないものを、部下は絶対に心から共感しないからです。

描かれたあるべき姿が、本当に心から実現したいものなのかどうかは、じっくりと話を聞いてみるとわかります。それはよく練られた上手な言葉で説明できるということではありません。入社試験の面接で志望動機を流暢に話す学生のように、あるべき姿をすらすら話す人はかえって怪しいとさえ感じます。実際にマネジャーと向き合って議論していると、むしろ、「素敵」とか「かっこいい」などという単純な言葉で表現されることの方が多いように思います。なかには真剣な表情で顔を赤らめながら、支離滅裂とも思える言葉で「とにかく・・・これをやりたいんです!」というマネジャーもいました。他人にケチを付けられても容易に引っ込めることもなく、堂々と毎日同じことを言い続けられるくらいでなければなりません。

 

「何を実現したいのか」と自問自答を繰り返そうではありませんか。そして、それを信頼できる誰かに話してみましょう。「想い」というのは心で感じることですが、口から吐き出すことで確かめられ、また他の人から質問されたり指摘されたりすることで、「心に決める」ことができるように思います。
少なくともマネジメントに携わる人はそうでなくてはなりません。それが業績と人の成長に責任を負うマネジャーの務めです。

 

(参考図書)

  • 「経営行動―経営組織における意思決定過程の研究」 ハーバート・A・サイモン