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× マネジメント

マネジメントの力で良くしてみよう

あるべき姿とありたい姿

今日は、「あるべき姿」という言葉について考えてみます。

以前、企業変革プロジェクトの現場で、あるマネジャーから次のようなことをお願いされました。

「『あるべき姿』という言い方は、『すべきだ』という義務というか価値の押し付けのようなニュアンスがあるので、どうも使いたくない。『ありたい姿』という呼び方をしたいのですが、ダメですか?」

そのときは、「『あるべき姿』という言葉に、そんなニュアンスを感じるのか」と不思議に感じました。
日頃からどういう言葉を使うのかは非常に重要で、それだけで将来が大きく変わると思っているので、あくまで「あるべき姿」を使っていただこうかと思いましたが、一方で、「ネガティブに捉えられるなら、まあ、それでもいいか」という考えもありました。念のため、「明日、お答えするのでもよろしいですか」とだけ答え、その夜、ずっと考えてみました。

結論として出てきたことは、やはり「あるべき姿」でなければならないというものでした。そのときの理路をただって見ると、以下のような感じでした。

 

「あるべき姿」と「ありたい姿」、この2つの言葉から感じる意味を大切にしよう。違いをはっきりさせて、マネジャーが描く想いを忠実に表わしているのは、どちらなのか。これで判断しよう。

「あるべき姿」には、必ずそうなるはずだ、理の当然として、そうでなくてはならないという気持ちで判断する態度を前提とする。一方で、

「ありたい姿」は、そうなったら嬉しい、そうしたいという願望や欲求が前提になっているように思える。

 

両者の違いは、その姿への態度だと思う。「あるべき姿」は実現することが当然で、それ以外の選択肢は受け入れない。「ありたい姿」は、実現できたらいいなというもので、別の願望や欲求との比較で優先順位が決まる。

マネジャーが想い描く未来というのは、願望や欲求とはちょっと違う。達成責任を負う立場でありながら、実現が簡単ではない水準まで引き上げて、「やる」と決める。そこには覚悟のようなものが必要になる。なぜなら、一人でやるのではなく、部下をはじめとする協力者を巻き込まなくてはならないから、誰よりも想いに忠実であり続けなければならない。そのためには、成果をあげるためには何でもするという決意や意志、使命感とも思える力で突き動かされる、そういうものでなくてはならない。
自分が望むことを優先してやっていて果たして、大きな成果が出るであろうか。苦手なこと、面倒なこと、どうしていいかわからないことが壁になって現れたとき、「ありたい姿」が、そういう難しい思いに負けたりするのではないか。

 

こんな感じだったと思います。次の日、「やっぱり『あるべき姿』でないとダメです」とそのマネジャーに伝え、上に書いたようなことを伝えると、意外にもすんなり納得してもらえました。言葉を大切にする方でしたので、「そうであれば、逆に、『あるべき姿』でなければなりませんね」という答えでした。

他から持ってきた言葉を何となく使うというのはダメですね。その言葉に何の力もないからです。重要なのは、自分たちで定義することだと、つぐづく思いました。

おかげで、これ以来、私のなかの「あるべき姿」という言葉に、より大きな力を感じるようになりました。

ということで、マネジャーは、自分が率いる組織の「あるべき姿」を描きましょう。