× マネジメント

マネジメントの力で良くしてみよう

あるべき姿の真髄

「あるべき姿とはどういうものか」について、もう少し考えてみます。人は、語感で言葉の意味を感じ取るところがあります。語感からその言葉の意味がわかる感じがするからです。経営用語で言うならば、代表格は、PDCAでしょう。何の略語かわかると、意味がわかって理解したような気がします。ところが、実務で何をどこまでやればよいのかよくわからない。「あるべき姿」もそうなってはいけませんので、これから少し考えてみます。

「あるべき姿がない、または、はっきりしない」とはどういうことか。

「あるべき姿」が明確じゃないということは、現在だけが見えていることになります。でもこれは現状が見えているだけで、現状の意味を知ることはできません。それは何も比較するものがないからです。自分の位置を知りたいのであれば、基準が必要です。その基準とは、もちろん他人ではありません。価値観が違う他人と比較する意味はほとんどありません。

今を生きるだけではダメなのです。明日も明後日も現状の行動様式とほぼ同じことを繰り返し、その延長線上でただ時間が流れていくことになります。これは、暗闇のなかを地図や目印も持たずに、成り行き任せで動いていることと同じです。人間の特権である「未来に希望を持つ」ことがありません。大事かどうかもわからないことを、これまでやってきたからという理由で実行していては、現状を維持することすら難しい。成果をあげるどころら、存続すら危うくなります。

「あるべき姿を描く」とは、どういうことか。

これに対して、あるべき姿を描くことは、無限に考えられる未来から、望む状態を選択することになります。このとき、時間の流れのなかで、現状とあるべき姿の2つの点が特定できることになります。つまり、方向と距離がわかることになるわけです。これは凄いことです。何が足りないのか、何をどれだけやればいいのか自然とはっきりするからです。まさに、カーナビで目的地を設定した状態と同じです。あとはどのルートを通るべきかを決めるだけです。

 

このとき意識のすべてが、あるべき姿に向けていることになります。これほど強力なことはありません。なぜなら、アンテナが常にあるべき姿に向いて立っている訳ですから、自然と目や耳に飛び込んでくるものが、あるべき姿に関連づけて頭のなかを駆け巡ることになるからです。よく「アイデアは、既存のものの新しい組み合わせ」と言いますが、新しい組み合わせを思いつくのは、そのことについてずっと考えているからでしょう。あるべき姿を思い描くとは、まさにそれと同じ状態なのだと思います。

あるべき姿に到達するためには、現在の行動様式とは関係なく、あるべき姿と現状を結ぶ線に意識を集中させて、それに沿った行動を取らなければならないのです。

あるべき姿の真髄

あるべき姿を描くことと描かないことの違いは、こんな感じでしょうか。どちらが大きな成果を上げるでしょうか。あるべき姿を描くことの真髄は、意識を一点に集中させるということだと思います。

「あるべき姿を描く」とは、正確に表現すれば、「『あるべき姿を実現する』と心に決める」ことです。「実現できたらいいな」という緩やかな願望でもなく、「実現してやる」という意気込みでもありません。取り組んでいる過程で必ず、あるべき姿の実現が遠のくような出来事が起こります。例えば、期待していた大型の契約が取れなかったとか、突発的なトラブルにより見込んでなかったコストが多額に発生したなどです。あるべき姿の実現を心に固く決めていないと、このようなネガティブな事象が起きたときに、「やっぱりあるべき姿の実現は難しいかもしれない」という考えに頭を支配されてしまいます。意識を一点に集中するとは、マネジャーがあるべき姿という自分自身の価値観を心から信じて既成事実のように捉えるということだと思います。

 

あるべき姿を描くとは、心の状態を整えることなのかもしれません。価値観を信じ、そこに意識を集中させる。これが、「どうしたいのかという想いを知る」ということなのでしょう。