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PDCA神話の蔓延

マネジメントはPDCAなのか

「管理」と同じくらい頻出するのが、「マネジメントはPDCAを回すこと」という理解です。当初、これについてはあまり違和感を覚えていませんでした。それは私もPDCAをよく知らなかったからだと思います。PDCAという言葉を知っていることで、何だか理解している気になっていました。ところがいざ説明しようと思うと、何の略語であるか以上に説明できませんでした。その後、プロジェクトを通じてマネジメント改革の支援を続けていると、違和感は徐々に確かなものになってきました。「マネジメントはPDCAという4つの頭文字で表せるほど単純ではないのではないか」というものです。

PDCAについてじっくり考えてからは、経営者や管理職の方々との会話のなかでPDCAがよく登場することに気付きます。

「うちはいつも"P"ばかりで"DCA"ができていない。」

「マネジメント改革とは、要するにPDCAを回せるようにするということですよね」

 

そこで、「失礼ながら、PDCAをご存知ですか?」と質問すると、ほとんどの人が『なんて失礼なことを聞くんだ』というような表情を浮かべながら「知ってますよ」と答えます。さらに、

「では、PDCAとはどういう概念ですか?」と聞くと、

これまたほとんどの人が、「Pは計画で、Dは実行で…」というような答えが返ってきます。少し前の私と同じです。PDCAという略語を説明することに留まり、この概念が、いつ、誰によって提唱され、何を目的に考案されたのかなどについては理解されていない状態です。

それにしてもこのPDCAという言葉は、ほとんどの人が知っているのに、同じくほとんどの人が詳しく説明できないという不思議な概念だと思います。

やはり、「マネジメントはPDCAと同じではない」と思えてなりません。どう違うのかを考える前に、せっかくなので、ここでPDCAを確認しておきましょう。

 

PDCAは一つのフレームワーク

PDCA概念が確立された背景を見てみましょう。1930年代に、ウォルター・シューハートというアメリカの統計学者が次のようなことを示しました。「これまで完成品を検査して、事後的に品質に異常があるものを取り除いていた生産工程を改めて、仕様、生産及び検査の3つのプロセスを螺旋状にして継続的な改善を行うのが良い」
簡単に言えば、取り敢えず作って、合格したものだけを良しとするのではダメで、合格品が多くなるように工夫していくということですね。その後、シューハートと長年にわたって共同研究を行っていた統計学者のエドワード・デミングが1950年に日本にシューハートの統計的品質管理の手法を日本に広めました。


そのとき、新たに「設計」、「製造」、「販売」及び「調査サービス」という品質管理の4段階のサイクルを提唱したとされています。
その後、水野滋博士を中心とする日本の学者たちが、ジョセフ・ジュラン博士というアメリカの品質管理の専門家の影響を受け、この4段階のサイクルを「企画」、「作業」、「チェック」及び「処置」とし、経営全般に対する管理として書き換え、デミングのそれとは区別したと言われています。

シューハートとデミングがPDCAを提唱したと言われていますが、現在見ることのできる彼らの著書のなかで、経営全般のプロセスとしてPDCAについて言及しているところが見当たりません。国立国会図書館に行って、閲覧できるあらゆる資料に当たりましたが、見つけられませんでした。かろうじて、デミング氏の著書『デミング博士の新経営システム論─産業・行政・教育のために』において、PDCAではなく、PDSAサイクル(SStudyの頭文字)が紹介されています。しかし、これはシューハート氏の製品と工程を検討し改善するモデルとして紹介されています。このように、PDCAは生産プロセスの管理が十分に行われていない時代において、製品の品質向上を統計的な手法で継続的に改善することを研究する過程で生み出されたものであって、企業経営という視点から実証されたものではないようです。

PDCAには「人」が出てこない

もちろんPDCAがまったく使い物にならないということではありません。PDCAは広く問題を解決し改善していくフレームワークとして適用できるでしょう。しかし、たった4つのアルファベットで一般化され抽象化されたフレームワークを、「人」を取り扱わなければならないマネジメントと同義とするのは少々やりすぎだと思います。PDCAには、感情を持った人間の心理的側面がまったく考慮されていないからです。
例えば、「コンピュータ」のようなイノベーションは、標準を設定し、そこから逸脱しないように品質を管理するというサイクルのなかでは登場しないでしょう。こういうイノベーションは、「こんなのがあったらいいな」とか「こういうことができたら凄くない?」という人間の想像力があればこそだと思います。また、一言で、「実行(Do)」といっても、思い込みや過去の行動習慣によって、従来と変わらない思考にとらわれたり、何をどのようにやるべきなのかについて理解していなかったりすることで、 計画した通りに確実に行動できないことも珍しくありません。それが人間です。PDCAサイクルは、経営全般に共通するところはあるものの、マネジメントと同義で用いるのはあまりにも狭義であり適切ではないでしょう。

 

深く理解する

PDCAという概念が広く知られるようになったのは、その略称にあると思います。サイクルの頭文字をとって、一つのフレームワークとして整理する手法は、ビジネス用語ではよくみることができますが、PDCAは代表格といえるでしょう。しかし、わかりやすい一方で、思考停止になる危険もはらんでいると思います。

というのは、"P"が「Plan」の略で「計画」だとわかったら、それ以上深く考えないおそれがあるからです。計画といっても、いつ、誰が、何を、どこまで決めればよいのかによって、その水準は全く異なるはずですが、その要件までは追究されず、ただ言葉を知っただけで終わってしまうのだと思います。

技能というのはそうであってはならないでしょう。例えば、ノコギリやカンナの使い方を知ったからといって、機能的で美しい家は立てられないでしょう。マネジメントも同じように、PDCAのサイクルを知ったとしても、成果があげられるようにはなりません。

PDCA概念のように、略語の意味を聞いただけで、理解した気になってはいけない、ということですね。
基礎となるコンセプトについて、よく調べ、よく考えて、実践で繰り返すことで、腕に磨きをかけていきましょう。
マネジメントは実践でしか腕をあげることができないと思います。
熟慮、決断、実行、そして対峙などは、実務でしか経験できません。
毎日、目指すべき成果を定義し、それを実現する。それが、深く理解するためのたったひとつの道なんだと思います。