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マネジメントの力で良くしてみよう

人を育てる

「管理職の役割とは何か」と問うたときに、よく出てくる答えの1つが、「人を育てる」です。感覚的ですが、頻出ワード第1位だと思います。「人を育てる」ということはどういうことなのか難しいと感じます。それは、「育てた」のか「育ったのか」わからないからです。人は経験を積み重ねると、それをうまく出来るようになります。スピードに差はありますが、その行動を理解し、慣れるからです。とくに子供の場合は、身体的な成長が伴うので、おのずとうまく出来るようになったりします。

 

「人を育てる」ことの結果はわからない

 

指導の賜物なのか、本人の努力によるものなのか、結果はまったく区別がつきません。ひとつの個体で2つのパターンを追跡調査し、比較検討することは絶対にできませんので、この区別は、はっきりしない。このようにはっきりしないなかで、管理職は「人を育てる」という役割を果たそうとしているのです。やはり難しいですね。
うがった見方をすると、調子のいい管理職は、成果をあげている部下を「育てた」と言い、結果が出ない部下を「本人の努力が足りない」などと言うことも出来てしまいます。それを証明することはできませんが、そうでないことも証明できません。

 

マネジメントは成果をあげるのが使命です。人の成長は、生み出す成果を大きくすることにつながりますので、長期的に成果をあげることを考えれば、「人を育てる」ことは、マネジメントの重要な活動の一つと言えるでしょう。結果として、「育った」のか「育てた」のかわからない。しかし、だからといって、管理職個人の感覚に任せておくというのは、マネジメントではありません。そこで、「人を育てる」とはどういうことなのかを、整理します。

 

「人を育てる」には、成果を上げる

 

企業の場合、「人を育てる」のは、成果を上げるひとつの手段ではありますが、目的ではありません。仮に、人々のスキルが上がったとしても、業績が上がらなければ企業の存在意義がありません。社会的な使命を果たすことができないのです。つまり「人を育てる」ことが成果に結びつかなければならないわけです。これが難しいところだと思います。研修を受けた場合、知識は増えたかもしれませんが、業績が上がるとは限らない。管理職が部下の不十分な行動を叱ったとしても、業績が上がるとは限らない。業績が上がらなければ、「人を育てた」とは言えません。
これは企業だけでなく他のことでも言えると思います。例えば、いつも同じ例えで申し訳ありませんが、野球の場合、指導の結果、バットを振るスピードが速くなったとしても試合でボールを遠くに飛ばせなければ意味がありません。また、新しい変化球を教そわったとしても、試合で打者を打ち取ることができなければダメなのです。成果が伴ってこそ「人を育てた」と言えるのです。これは、言い方変えると、「成果を上げられるようにしてやることが、人を育てたことになる」と言えるのではないでしょうか。

 

マネジメントすることが「人を育てる」

 

マネジメントの枠組みで考えると、「人を育てる」とは「成果を上げられるようにしてやること」に他なりませんから、「人を育てる」ために、何か特別なことをやるのではありません。営業部長であれば、部下である営業マンの売上目標を達成させてやる、ということです。つまり、「部下の目標を達成させる」というマネジャーの本分をやり遂げればよいのです。もちろん「マネジメント不在の現状」という記事で書いたように、単に目標を割り当てて、達成を部下に丸投げし、達成できなければ叱る、ということでは、仮に、一時的に目標を達成できたとしても、「人を育てた」ことにはなりません。

kakemana.hatenablog.com


マネジメントの枠組みでは、「成果を上げる」ようにしてやることが「人を育てる」ことです。マネジャーは、「指導する」とか「叱る」という個々の行為を実行しても、それは「人を育てた」ことにはなりません。もし、部下が目標を達成できていないなら、マネジャーは、その部下を育てられていないと考えるべきでしょう。成果を上げることに、もっと拘ろうではありませんか。