× マネジメント

マネジメントの力で良くしてみよう

効果を上げること効率を良くすること


 今回は「効率ばかり追求しないで」というお話です。先日とあるクライアント企業様の営業会議に同席していたときに、来月から新卒2年目に入る若手営業マンがしきりに、「効率が悪い」とか「効率を上げるためには・・・」と発言しているのを目の当たりにして、「新卒2年目なのに、自分の意見をはっきり言えて、素晴らしいなぁ」と思う反面、ちょっと違和感を覚えました。それは、「まだ経験が浅いのだから、『効率』なんて言うものじゃない」というような理由からではなく、果たして「効率」を問う場面なのだろうかという点で疑問を感じたからです。「効率」は、どの業界、どの仕事でもよく出る典型的なテーマですので、対になる「効果」とセットにして整理してみます。今回もお付き合い下さい。

効率とは退屈の表れ

 あなたは「効率」をどういう意味で使っているでしょうか。日本国語大辞典によると、効率とは、機械によってなされた仕事の量と、消費された力との比率。転じて、一般的に、使った労力と、得られた結果との割合をいうそうです。本来の意味からすると、「効率が良い」というのは、費やした時間や作業負荷などの労力に比べて、良い成果が出たということですが、仕事の場面における「効率」のほとんどは、「労力」にフォーカスが当たっていて、「無駄な労力を減らす」という意味で用いられているように感じます。なぜ、「無駄な労力を減らす」ことにフォーカスするかというと、それは退屈だからではないでしょうか。「労力を減らしたい」のは、結果という「答え」が見えているから。どうなるかわかっているから、必要以上に労力をかけたくない、という訳です。

なんとか結果を出す

 次に、「効果」を取り上げてみましょう。かつて、ピータードラッカー氏が、その著書『経営者の条件』で、「効率的とは事を正しく行うことであり、効果的とは正しい事を行うことである」と述べたように、両者は対になる概念で、マネジメントにとって重要な意味があると思います。効率と同様に辞書の意味を確認すると、効果とは、ある働きかけによって現われる目立った結果やききめ。 多くはこうすればこうなるだろうという予期や意図をもってすることをいうそうです。ここで大切なのは、「目立った結果」や「こうなるだろう」という所です。効果は「やったことがない結果」や「常にそうなるとは限らない結果」を出すことが前提となっています。「効果を上げる」ために何をやれば良いのか、はっきりとはわかっていない。つまり、効果を上げることは、答えがわからない新しい活動をすることが前提となっており、「挑戦」や「実験」を意味しているのではないでしょうか。

効率と効果の関係

 なんだか「効率」を悪者のように書いてしまいましたが、もちろん「効率」が悪い訳ではありません。ここでは、両者の関係をまとめてみます。
 マネジメントは、人々の相互作用を通じて成果を上げることを意味します。つまり、「成果を出す」=「効果を上げる」ことが使命ですから、あるべき姿を高くして、それを実現することが良いマネジメントだと言えるでしょう。そのためには、「効果を上げる」ことに経営資源を投入しなければなりませんから、マネジメントの使命から考えると、中心となるのは「効果を上げる」ことです。ここで悩ましいのが、「高く引き上げたあるべき姿を実現するために必要な行動を、事前に知ることはできない」ということです。「後から振り返ったら効果が小さかった行動」なんていうのも覚悟して、行動しなければならないのです。
 このとき必要となるのが、結果が読める活動の効率を良くして、「効果を上げる」ための行動に費やす時間を捻出することです。「効率」は、主たる活動の時間を作り出すために重要なんですね。ですから、「効率」を語る場合には、どれだけの経営資源を捻出したいのか、そして、捻出した資源を何に投入するのかをセットにして考える必要があるのではないでしょうか。

最後に

 整理すると、マネジメントは、あるべき姿を高くして、何としてもそれを実現するために知恵を出し、効果が高いと思えるものから実行する。実行した後は、その過程を振り返って、必要な行動を特定し仕組みにして効率を上げる。そしてまた次のあるべき姿のために資源を捻出する。こんな感じだと思います。「効率」がやけに気になったら、それは答えがわかっている活動ばかりになっているか、はたまた、あるべき姿が低いのか、どちらかかもしれません。是非、「効率」以上に「効果を上げる」ことにこだわって下さい。ちょっと飛躍しすぎかもしれませんが、「日本の生産性が低い」のは、労働時間が長いからではなく、すでに答えがわかっていることばかりして、「成果が小さいから」ではないでしょうか。効率を良くする究極の方法は、労力を減らすのではなく、飛躍的に効果を上げることかもしれません。

 

自責で考えるということ

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いつもお読みいただきありがとうございます。
 今回は「自責」を取り上げたいと思います。昨今では働くメンバーのメンタルヘルスの観点から、相手の心情に配慮せずに「自責で考えろ」と言うことが、はばかられるようになった気がします。しかし、「自責」はマネジメントにとって、とても大切なことですので、「自責」とはどうあるべきなのかについて整理してみます。今回は、いつもよりも少ない文量でまとめてみようと思いますので、お付き合い下さい。

 

自責とは何か

 かつて、「炎のコンサルタント」と呼ばれ、社長を怒鳴りつけるほど情熱的な指導をしていたと言われる一倉定氏は、よく「郵便ポストが赤いのも電信柱が高いのも社長の責任」と言って、「全ては社長の責任である」ことを説いていたそうです。これは、自らの意識改革を徹底させ、それくらいの強い責任感を持って経営にあたることを、社長に決意させるための表現だとは思いますが、皆さんはどうお感じになりますか?
 私はどうもこの表現が好きになれません。一倉氏がご存命なら間違いなく頭ごなしに怒鳴られるでしょうが、「そんな訳ないでしょう!」と思うだけでなく、言語化を求められる現代では相手に全く伝わらないばかりか、「自責」が違う意味で浸透してしまいそうでなりません。
 そこで、令和の時代における「自責」を以下のように定義してみました。

 

自責とは・・・
 影響を与えられる範囲の結果は、すべて自分に責任があると考えること

 

 いかがでしょうか。このように定義したのは、「じゃぁ、『影響を与えられる範囲』というのはどこなのか」ということについて考えを巡らせていただきたいからです。

 

影響を与えられる範囲


 自分が影響を与えられる範囲について一度じっくり考えてみましょう。例えば、あなたがある会社の「営業部長」だとしましょう。この時、配下の役職者やその他のメンバーの行動には直接影響を与えられるでしょう。これが「否」だとすると、マネジャーとしての役割を果たせていないことになりますが、違和感はないと思います。では、以下のものについては、自分が影響を与えられる範囲に含まれるでしょうか?
 ① 他部署の活動(商品企画など)
 ② 社長/上司の行動
 ③ 売上高(お客様の行動)
 このように考えながら、影響を与えられる範囲を確かめていきましょう。ちなみに、上に挙げたものは、すべて影響を与えられる範囲に含まれると考えられるでしょう。これについては異論がある方もいらっしゃると思います。もちろん、それは「意のままになる」ということではありません。直接または間接的に働きかけることができる対象は、すべて「影響を与えられる」と考えるべきだと思います。大袈裟に表現すれば、「これから自分の周囲で起こることはすべて影響を与えられる」と考えても良いくらいです。これでは、「赤いポストや電信柱の高さ」と何ら変わりがないと言われそうですので、もう少し説明を加えてみましょう。
 影響を与えられる範囲に対する考え方は個人によって異なりますが、それは「自分が主体的に行動する範囲」と密接な関係があります。つまり、主体的に行動する範囲が広い人ほど、影響を与えられる範囲を広く捉える傾向があるということです。マネジャーは、成果を上げることを求められますので、主体的に行動して影響を与えられる範囲を拡大していかなければなりません。先に「これから自分の周囲で起こることはすべて影響を与えられると考えるべきだ」と書いたのは、その方が大きな成果を上げることができるからです。

 

自責をどう使うか


 私はかつて上司から、なかなかの剣幕で「自責で考えろ」と繰り返し言われたことがあります。最初は、「どこか自責で考えられていないところがあるのか」と思いながら、その上司の発言を聞いていましたが、あまりにも執拗に言われるので、内心「うっせーな」と思って聞き流していました。あるとき、その上司自身が自責で考えていないのではないかと思うようになり、それがかえって「自責とはそういうことか」と気付かせてくれたような気がします。太公望から兵書を伝授された張良の御伽噺のようですが、これは、マネジャーが「自責で考える」ことをどのように扱うべきかを示唆しているように思います。
 部下が期待する結果を出せなかったとき、マネジャーがイライラしたり、部下を叱責したりしているうちは、「自責で考える」ことができていないのだと思います。悪い結果の責任が部下にあると思っているからこそ、そういう行動になると考えることができるでしょう。かといって、何でも「自分の責任だ」と考えて、自分を咎めるということでもありません。
 自責で考えることの本当の使い方は、各々の立場において自責で考え、お互いにその責任を認め合うということだと思います。これが信頼関係に立脚した「自責で考える」ではないでしょうか。ですから、上司は「仕事を任せる」、または「部下を指導する」という立場から自責で考え、部下は「仕事を遂行する」という立場から自責で考える。そして、お互いにそれを口にして、具体的に一緒に次の対策を考える。そんな姿が、本当の「自責で考える」だと思います。

 

最後に


 いかがでしたでしょうか。短く書くつもりでしたが、2,000字を超えるものになってしまいました。「自責で考える」ことを盾に、部下を責めるマネジャーが一人でも減ったらいいなぁと思いながら書いてみました。今回も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

 

 

位置づけを示す

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いつもお読みいただきまして、ありがとうございます。
 先日、日頃は爽やかな経営者が、ある管理職に対して、「お前がそんな発言をするなら、経営メンバーから下りるか」という発言をしました。その時、思わず「そういうポジショニングかぁ」と嘆息が漏れてしまいましたが、その瞬間に、次のnoteの記事はこれについて書こうと思いました。今回は、そんなコミュニケーションの土台となる、相手との関係、位置づけに関するお話です。よろしければ、最後までお付き合い下さい。

相手との関係を大切にする日本人

 「英語に敬語はない」と言われることがありますが、実は英語でも立場によって言葉を変えることはあるそうです。ただし、それは品格の高い人が丁寧で上品な言葉遣いをするという形であり、「誰が」話すかによって言葉が変わることがあるそうです。
 これに対して、日本語には尊敬語、謙譲語、丁重語、丁寧語および美化語の5種類も敬語があり、相手が目上なのか、目下なのかというように、「誰に」話すかによって言葉遣いを変える文化があります。これは、古来から日本人が相手との関係を非常に大切にしてきたことによるものであり、日本人同士でコミュニケーションをとる場合には、相手との関係に十分に配慮する必要があることを表していると思います。皆さんも、相手のタメ口が気になったり、言葉遣いを注意されたりしたことが、少なからずあるのではないでしょうか。

さまざまな位置づけ

 位置づけには、目上かどうかなど地位や年齢による関係ばかりではありません。人は意識して、ときには無意識に相手の関係を位置づけているものです。例えば、「上司」の場合には、次のように位置づけられることがあると思います。
・仕事を振る人/押し付ける人
・細かいところまでチェックするお節介な人
・発言がコロコロ変わる思いつきの人
・助けにならない頼り甲斐のない人
・決断できない人
・結果だけを見てバッサリ切り捨てる人
・口うるさいけど抽象的なことばかり言う人
 思いつくままに挙げてみましたが、皆さんの周囲にも、こんな管理職がいるのではないでしょうか。「上司」は水槽の金魚のような存在ですので、部下は常に、上司が何をしているのか、何を言ったのかに注目しています。管理職の皆さんは是非、日頃の言動に注意して下さいね。知らない間に、上司であるあなたは部下のなかで「位置づけ」られているものと思います。

位置づけの大切さ

 概念としてお示しする以上、「位置づけ」を簡単に定義致しましょう。
ここで言う「位置づけ」とは、言動によって認識した、自分と相手との関係であり、自分にとってどういう存在なのかを示したものである、といえるでしょう。いかがでしょうか。ビシッと決まりましたでしょうか。もう少しフランクに言うと、本人がそう示したいか否かには一切関係なく、相手のなかで「この人はこういう人だ」と貼り付けられたラベルです。
 この「位置づけ」は非常に重要です。どれくらい重要かと言うと、コミュニケーションの行方を左右するくらい、言葉がどういう風に解釈されるのかを決めるくらい重要だと言っても言い過ぎではありません。まさに、コミュニケーションの土台を成すものだと考えていただけたら良いと思います。
 例えば、上司から「凄い! よくやったね。」と言われていても、「位置づけ」によって解釈が変わります。もし「嫌われることを恐れる人」という「位置づけ」の上司の場合、部下は「また言っている。あの人は誰にでもそう言うから」と解釈されるかもしれませんし、一方で、「要求水準が高く厳しい上司」という「位置づけ」の場合には、「あの人があぁ言うんだから本当に認めてくれたんだ」となるかもしれません。相手に真意を伝えたければ、「どういう言葉を使うか」の前に、「どういう存在として認識されているか」が重要です。つまり、良好な「位置づけ」なくして、良好なコミュニケーションはないのです。

位置づけを示そう

 相手が知らないうちに「位置づけ」を決めてしまう訳ですが、円滑なコミュニケーションを実現するには、自分から主体的に「位置づけ」を示すように致しましょう。では、どう示すべきなのでしょうか。
 ここでは、「位置づけ」をコミュニケーションを上手に行うためのテクニックとして理解していただきたくない、もう一度書きますが、あくまでテクニックではなく、相手と円滑なコミュニケーションをするための姿勢として、ご理解いただきたいので、どういうことが「位置づけ」になるのかを例示するに留めたいと思います。
 例えば、次のような場合にも「位置づけ」を示す言動になります。皆さんは、こういう上司をどう「位置づけ」、どうお感じになりますでしょうか。
 ・パソコンに入力しながら部下と話す
 ・外回りをしてきた部下に「お疲れさん。寒くなかった?」と声をかける
 ・「〇〇さん。最近太ってきたんじゃない⁈」
 ・管理職になる前は毎期トップの営業成績を納めていた
 ・頻繁に打合わせをリスケ/キャンセルする
いかがでしょうか。多くの言動が「位置づけ」の材料となり、その積み重ねによって、「位置づけ」が固まってきます。是非、一度周囲の人の「位置づけ」を言葉にしてみながら、「自分は相手にとってどう位置づけられているのか」振り返ってみてください。

最後に

 いかがでしたでしょうか。今回は主に立場に関する「位置づけ」について、整理してみました。「位置づけ」には他にも「場面」に関するものがありますが、別の機会に書きたいと思います。皆さんとって、我々がどういう「位置づけ」になっているかわかりませんが、マネジメントやコミュニケーションなど、組織・集団が少しでも良くなるように願う同志として「位置づけ」られたら嬉しい限りです。今回も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。