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あるべき姿を描く

マネジャーは「どうしたいのか」という想いをよく知っておかなければなりません。その「想い」とは、任された組織の「あるべき姿」です。
「目標」という使い慣れた言葉で呼んでいいのかもしれませんが・・・。いや、やっぱりダメですね。「あるべき姿」です。意味合いは似ていますが、何より「目標」という言葉には、すでに苦悩を思い起こさせるイメージがこびり付いているように思えてならないからです。


すべてのマネジャーが例外なく、あるべき姿を描かなければなりません。あるべき姿を描かないということは、実現すべき成果を決めないことになりますので、マネジメントしていることにはなりません。

あるべき姿を描くことは、無数に考えられる未来から、「到達したい」と望む一つの地点を決めることです。描いたあるべき姿によって、未来が大きく変わります。それくらい重要なことです。

そんな重要な「あるべき姿」ですが、厄介なことに「あるべき姿」は、無数に描くことができ、どれが正しいなどとは言えません。それは、「あるべき姿」が価値観の表れであるため、唯一絶対的な正解などないのです。人道的、法律的に受け入れられないことを除いて、誰かが描いたあるべき姿について、それが「間違っている」とか「正しい」などと言うことはできません。そのため、会社がどうあるべきかについて経営者が決めなければなりませんし、部門がどうあるべきかについては部長が決めなければならないのです。

この点について、先人の素晴らしい言葉をお借りしましょう。ノーベル経済学賞を受賞したハーバート・A・サイモン教授は著書『経営行動』のなかでわかりやすく表現しています。

 

世界が実際にどうであるかという知識の集積は、それだけでは世界がどうあるべきかを教えてくれない。どうあるべきかを知るためには、われわれはどのような世界が欲しいのかをすすんでいわなければならない。

 

あるべき姿を描くとは、心から実現させたいことを決めるということです。実現させるために必要なことは何でもすると思える程のものです。もし、心から実現させたいと思える程のあるべき姿が描けない、もしくははっきりしないというのであれば、じっくりと自分の想いと向き合わなければなりません。これはマネジャーとして他者に絶対に任せることができない務めなのです。

「心から実現させたいこと」を決めるのは非常に難しいです。それまでの人生を振り返って、「あのとき、どうしてあういう選択をしたのか」とか「今までで一番、心が高ぶったはいつだったか」などと考えながら、何となく見い出せるものです。この作業を省略することはできません。なぜなら、自分自身が「何としても実現させたい」と思えていないものを、部下は絶対に心から共感しないからです。

描かれたあるべき姿が、本当に心から実現したいものなのかどうかは、じっくりと話を聞いてみるとわかります。それはよく練られた上手な言葉で説明できるということではありません。入社試験の面接で志望動機を流暢に話す学生のように、あるべき姿をすらすら話す人はかえって怪しいとさえ感じます。実際にマネジャーと向き合って議論していると、むしろ、「素敵」とか「かっこいい」などという単純な言葉で表現されることの方が多いように思います。なかには真剣な表情で顔を赤らめながら、支離滅裂とも思える言葉で「とにかく・・・これをやりたいんです!」というマネジャーもいました。他人にケチを付けられても容易に引っ込めることもなく、堂々と毎日同じことを言い続けられるくらいでなければなりません。

 

「何を実現したいのか」と自問自答を繰り返そうではありませんか。そして、それを信頼できる誰かに話してみましょう。「想い」というのは心で感じることですが、口から吐き出すことで確かめられ、また他の人から質問されたり指摘されたりすることで、「心に決める」ことができるように思います。
少なくともマネジメントに携わる人はそうでなくてはなりません。それが業績と人の成長に責任を負うマネジャーの務めです。

 

(参考図書)

  • 「経営行動―経営組織における意思決定過程の研究」 ハーバート・A・サイモン