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マネジメントの力で良くしてみよう

自由にさせない

人の行動に影響を与えるには、「操る」のと「奮起させる」の2つがある、ということについて、前回書きました。

 

kakemana.hatenablog.com

この記事のなかでは、手っ取り早いが故に「操る」アプローチばかりだ、ということを書きました。しかし、「操る」のなかでも、とても大切なのに、実行されていないものがあります。それが、今日の「自由にさせない」です。

 

最近は、新入社員のうちからモノを言う人が増えているようです。「僕の自由にやらせてください」とか「私のやり方で」ということを、平気で上司に言ってくるそうです。上司である管理職も、「そうか。じゃ、やってみろ」と簡単に引き下がってしまいます。解釈によっては、「積極的」と捉えることもできますので、悪いことではないでしょう。しかし、この自由を許容しすぎてはいけません。


「人を育てる」という記事のなかで、成果を上げるプロセスが人を育てるのだと書きました。

kakemana.hatenablog.com

その前提には、何としても成果を上げようと行動することが不可欠です。「何としても」です。もし、好きなことや得意なことをだけを行い、慣れ親しんだやり方で取り組んだとしても、成果は上がらないでしょう。それで実現できるような成果であれば、もともと十分な難易度ではなかったのです。成り行きで、できてしまうレベルだったのです。人は、苦手なことや好きじゃないことは避けて通ろうとします。完全に逃げなくても、十分な時間や量を割かないようする傾向があります。

 

例えば、営業マンであれば、苦手なお客さんのところに訪問する回数が極端に減るなんていうのは日常茶飯事で、まったく訪問しない不届者も珍しくありません。受験勉強でも、合格するためには、穴を作ってはいけないので、どうしても5教科やらなければならないのに、苦手な数学はどうしても後回しになる。部下や子供に自由にやらせておいて、事実でもって確認していると、こういった傾向はすぐに見て取れます。

 

人を育てるためには、自由にやらせてはいけないのです。成果を上げようとする行動が、人を育てます。そして、成果を上げるためには、必要なことは何でもやらなければならない。必要なことのなかには、必ず好きじゃないことや苦手なことが存在しています。好きじゃないことや苦手なことを避けていると、これが弱さとなって現れます。成果を上げたくとも、弱さが壁になって停滞してしまうのです。ですから、本人がその行動を好きか嫌いか、苦手かどうかにかかわらず、上司や親は、必要なことをやらせなければならないのです。

 

これに対して、必ず、「部下や子供がかわいそう」と言う人が現れます。そう感じる気持ちは理解できなくはありません。私にも覚えがあります。息子が小学3年生のとき、「近くの公園でバッティング練習がしたい」と息子が言うので、投げてあげることにしました。すると、息子の打ち方を見て驚きました。遠くに飛ばすことを考えるあまり、極端に投手側の肩を開いて、前に突っ込みながら打っていました。これは、野球では、やってはいけない典型的な崩れ方なのです。そこで、その日は、残りの400球をすべてショート・ゴロを打つように左打ちの息子に指示しました。もちろん矯正するためにです。息子には理由を告げていなかったので、泣きながら打っていました。息子のためにやらせているという信念はありましたが、そのときはさすがに息子の心情が気になったものです。しかし、これは、かわいそうではないのです。

 

自由にさせないことは、見方を変えると、いつも上司や親が見ている、関心を寄せている、ということです。最初は、嫌々やっていても、関心をもって関わっていると、それが、必ず苦痛でなくなります。そして、良い結果が出たりすると、嬉しそうに報告してきます。
かつてのプロジェクトでも、「あそこには案件なんて、ありませんよ。私はこの地盤をよく知っているんですから」と言って、新規営業を避けていたベテラン営業マンが、その新規先から契約を取った日に、上司と日次ミーティングで嬉しそうに聞いてもいない話を延々としていた、なんてことがありました。
ちなみに、我が不肖の息子も、翌日には「パパがあんなにやらせた理由がわかったよ」と笑顔で言い、今では、バッティングが崩れたと判断すると、逆方向に打つ矯正法を、自ら繰り返し練習しています。

人を育てることに本気で取組むなら、自由にさせてはなりません。苦手なこと、好きでないことにも、果敢に、粘り強く取組むことが不可欠です。「自主性」を重んじる傾向が強くありますが、「自由にさせる」ことにならないように注意しなければなりません。