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【野球×マネジメント】ケガ人を出さない

今回もコラムです。
マネジメントでは、事実をつかむことが大切です。目の前にある「問題」に対峙して、解決しなければならない。事実がわからなければ、原因もわからず、正しい手が打てないからです。

 

kakemana.hatenablog.com

この「事実をつかむ」ということは、経営以外でも、もちろん大切です。今回は、野球における事実をつかむ大切さを考えます。どうして野球かというと、学生時代に野球をやっていて、息子が所属していたリトルリーグでもコーチをやっていたので、題材として使いやすいのです。野球をあまりご存知でない方は、他のスポーツをイメージしていただいても構いません。本質は同じです。

 

野球、とくに少年野球の指導者は、子供がケガをしないように注意しているでしょう。「本気でケガ人を出さないようにしようと思ってますか?」などと聞いたら、怒られそうです。ここは例外がないと信じたいですね。では、その指導者に次の質問をしたら、どうなるでしょうか。

 

2016年の1年間で延べ何人のケガ人が出ましたか?

 

即座に具体的な数を言える人はほとんどいないと思います。「ほとんど出てない」というような曖昧な答えではダメです。「ケガ人」とは、どういう人かを具体的に定義して、日々記録して追跡していないと答えられません。

本気で、ケガ人を出さないようにしようと思ったら、結果として、延べ何人のケガ人が出たのかを数値で把握しましょう。

 

ただ、これだけでは不十分です。結果を事実として把握しても、意識するだけで数値が減ることはありますが、限界があります。そこで、有効な対策をとるためにも、ケガの原因を推定してみましょう。例えば、ケガを「肩とひじの痛み」とすると、一般的には次の3つが原因に挙げられます。

  1. 悪いフォームで投げる
  2. 投げる数が多すぎる
  3. 準備運動が不十分な状態で全力投球する

ここでは、「2. 投げる数が多すぎる」を取り上げます。まずは、私の息子の話を例に考えてみましょう。

 

あるとき、息子が私にヒジの違和感を訴えてきました。あくまで「痛み」ではなく違和感の状態でした。そこで、週末まで違和感がなくならなければ、練習では「投げない」ようにしようと決め、週末の練習日を迎えます。すると、幸いにも違和感がなかったので、コーチには何も告げず、普通に練習に参加しました。私も、そのときは父兄という立場でしたので、一日、息子の練習を見てみました。

せっかく一日練習を見るので、事実をつかむことに専念しました。つまり、息子が練習中に何球本気で投げるのかを数えたのです。

 

ウォーミングアップ後のキャッチボールから、「力を抜かずに投げた」と思える数をカウントしたのです。すると、驚くことに息子がその日の練習で、力を抜かずに投げた数は、なんと151球でした。

大会のルールでピッチャーには次のような投球制限が課されます。

  • 85球を超えたら、次の打者に投げてはならない
  • 2日続けて投げる場合には、120球を超えてはならない

このルールと比較しても、練習で151球投げることが、どれだけ負荷が大きのかがわかると思います。練習は、毎回ほぼ同じメニューで行われますので、これまでも同じくらいの球数を投げていたことでしょう。

事実として、投球数を把握すれば、負荷の程度がわかります。これは間違いなく、「投げすぎ」のレベルでしょう。そうすれば、練習メニューを変えたり、選手の配置を変えるなどして、対策がとれます。

グランドという同じ場所にいても事実を把握しないと、真の姿は認識できません。何となく「大変そうだ」とか「ちょっと投げ過ぎかな」というレベルでは、ケガを予防することは期待できません。選手が「痛み」を訴えてから、対処療法的に、「投げさせないようにする」のが、せきのやまでしょう。

是非、一度、実数をカウントして、事実を具体的に把握してもらいたいものです。
もし、すべての野球チームで、練習中の選手の投球数をカウントする日を設け、一定の数以下に抑えるよう練習メニューに統制したら、ケガ人の数は激減すると思います。マネジメントの発想で、「事実をつかむ」ことが広まって欲しいものです。

【受験×マネジメント】志望校をどう選ぶべきか

今日は、本でいうところの「コラム」を書きます。
ブログを始めてから、ずっと「マネジメントとは何か」ということを断片にして書いてきました。断片はまだまだ、たくさんありますが、ちょっと気分転換に「マネジメントをどう応用するか」という視点で書こうと思います。
今回は、ちょうど受験シーズンでもありますので、大学受験をマネジメント的にアプローチしたらどうなるのか、ということを書いてみます。受験勉強の全体像はとても書き切れないので、「志望校をどう決めるのか」、つまり志望校のあるべき姿について、考えてみます。

 

数か月前、かつての同級生が大学受験について、次のような話をしてきました。

友人:「この間、娘と大学のオープンキャンパスに行ってきたんだけど、やっぱり行かないと雰囲気わからないよね。今のところ〇〇大学がいいかな」
私:「いいことだね。でも、オープンキャンパスを見て決めるの!? でも、なんで〇〇大学なの?」

友人:「だって、もっと上の大学行ってもらいたいけど、娘はそんなに頭が良くないから、無理だし・・・。〇〇大学なら、頑張れば行けそうなんだよね」
ここで気になったのが、「行けそうな大学を目指す」という考え方です。もちろん、本当にその大学に行きたいと願っているのであれば、そうすべきだと思います。でも、この友人の場合には、「もっと上に行ってもらいたい」と思っているのに、無理だと決めつけてしまっています。

ここで、企業の現場のおいて、管理職の方々からよく聞くフレーズが頭をよぎりました。「前年比で120%なんて無理ですよ。去年は前年をキープすることすら出来ていないんですよ。出来たとしてもプロジェクト目標は100%くらいが限度じゃないですか」 でも、プロジェクト終了後には120%を達成しているということも珍しくありません。

マネジメントでは、実現不可能でなければ、あるべき姿は高い方が良いのです。そして、そのあるべき姿と現状のギャップをはっきりさせる。つまり、足りないものを明確にします。そして、どうすればこのギャップを埋められるかを、論理的に整理して、やるべきことを具体的にしていきます。
これを大学受験に引き直してみると、「行きたいのであれば」ですが、要求される水準が高い大学を志望校に設定する方が良いと思います。日本の場合、その方がまだまだ選択肢が多いからです。
ここで問題になるのが、「合格できるのか」ということですが、この問いには実は意味がありません。冒頭で例に挙げた友人の娘さんは、高校2年生ですが、その時点では、間違いなくほとんどの受験生が、「合格水準にない」状態だと思います。つまり、この時点では、ほとんどの人が「合格できない」レベルにいるのです。ですから、「合格できるのか」と問うたところでまったく意味がありません。友人は、きっと、これまでの学校での成績を見ると、「合格できそうにない」と思ったのでしょうが、高校2年生の段階では、「現状がどうか」は重要ではないでしょう。大切なのは、「これからどのようにして合格水準まで持っていくか」ということです。
行けそうな大学を志望校に設定すると、受験勉強はこれまでと同じような方法でやることになります。これまで通りにやって、努力を続ければ合格できそうだからです。ゼロベースで見直そうという意識はなかなか生まれません。人は問題だと感じないと現状を変えようとはしないものです。そうすると、例えば、英語を勉強する場合、みんなが使っている英単語の参考書を、あまりよく考えずに、1ページ目から覚え始めたりする、ということが行われたりします。
逆に考えれば、志望校を思いきり高く設定した場合、 「これまで通りでは合格するはずがない」ので、勉強方法を見直さなければなりません。「どうすれば合格できるのか」と考え、赤本を買ってきて過去問を分析し、何か課題なのかを探らなければならないでしょう。そして、必要な参考書を揃え、課題をクリアできる勉強方法をひたすら実行するのです。たとえ、高校生がそう気づけなくても、親にマネジメントの発想があれば、そう導くことができます。
また、難しい大学にチャレンジして、仮に失敗したとしても、損するのは受験料くらいではないでしょうか。間違いなく言えるのは、ゼロからやり方を見直し、「どうすれば実現できるか」と考え抜けば、その経験は必ず役に立ちます。歴史的な偉業はもちろん、割と身近にいる、すごい成果を上げている名もなき英雄たちも、決して、できそうな目標に取り組んできたわけではありません。先に想いを描き、それを何とかして実現してきたわけです。

大学受験は、行きたい学校で出来るだけ高いところ目指す、しかも、受験勉強を始める前に設定してしまうのです。注意すべきは、「合格できるかな」などと考えないことです。「ほかを目指すつもりなどない」と決断して、「どうしたら合格できるか」というモードに脳を変えてしまいましょう。そうすれば、あとは単に「やり方」の問題です。続きは、いつか書こうと思います。

とにかくやる

昨日は、行動の後戻りについて書きました。新しい行動が定着しないのは、「意味がわからないことはやりたくない」という気質ではないか、というものです。

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でも、人に限らず組織でも同じですが、成長するためには、新しい行動を始めて、それを「ものにする」ことが不可欠です。現在と同じ行動を繰り返していても、より上手くやれるようにはなりますが、成長には限界があります。つまり、成長するために、新しい行動を定着させなければなりません。では、後戻りをせず、行動を定着させるためには、どうすればよいのか。

コンサルティング会社時代に知った「定着の3つのステップ」というのがありますので、それをご紹介しましょう。これは知識としてではなく、実践においても「間違いない」と思えるものです。

コンサルタントっぽく書く場合には、通常、最初に枠組みの全体像、つまり、「定着の3つのステップとは、次の3つである」などと位置づけながら、各々の関係や構造を要約し、次に詳細を順番に説明する、という感じになると思います。しかし、今回はそうはしません。全体像がわからない、つまり、先が読めないという苦痛のなかで、ひたすら進むのがよろしいかと思うからです。よろしければ、是非、お付き合いください。では、行きましょう。

行動が定着する最初のステップは、「決まり通りに、とにかくやる」ということです。要求された条件に一致する行動をひたすら続けるということです。簡単なようですが、これが非常に難しい。というのは、必ず「なぜこれをやらなくてはならいのか?」とか「もっと効率的にやる方法があるのではないか」などという不満が出てくるからです。
それなら、「最初にきちんと説明すればいいじゃないか」と思うかもしれません。しかし、それではダメなのです。それは「理解しないと受け入れない」という姿勢が、行動を定着させる上で邪魔になるからです。
実は、この教えはいろいろなところで見ることができます。ちょっと古いですが、好きな映画を例にあげてみます。ジャッキー・チェンの映画に「酔拳」というお話があります。ご存じの方もいるでしょう。「酔拳」のなかで、ジャッキーは武術の修行をさせられるのですが、師匠は最初に、水汲みやクルミ割り、腕立てなどをひたすらやらせます。ジャッキーはちょっとふざけながらも、その修行に何とかついていきます。そして、あるときジャッキーが不満を口にします。「基礎体力づくりばかりでカンフーを教えてくれない」と。そこで師匠が打ち明けます。「酔拳に必要な基礎を教えていたのだ」そして、そこから技の鍛錬が始まるわけですが、ここに示されている教訓は、「基礎を大切にする」ということだけではありません。「師匠の教えに従う」という弟子の姿勢です。教えがどういう形で提供されようが、求められていることを必死にやるのです。

これについても先人の教えを拝借します。ジョージ・レナード氏が、著書『達人のサイエンス』で示した、達人へのキーポイントのひとつ、「自己を明け渡す」ことに非常に似ています。レナード氏は、何かの達人になるには「自己を明け渡す」勇気がなければならないとしています。つまり、重要なことを新しく学習するときには、どういう場合でも初めの頃は馬鹿になり、自分が苦労して得た技能を捨てることが必要であるとしています。この様子は、文学作品における、剣術の達人と弟子の物語や映画「ベストキッド」でも同じように描かれている、としています。

新しい行動の「意味が分からない」と拒絶しようとするのは、「これまでの経験に照らせば、やる必要がないと思う」ということだと思います。行動することの真の意味は、実践した後にしかわからないのですから、「四の五の言わずに、忠実にやってみる」ということがなければ、新しい行動は定着しないのです。まずは、「とにかくやる」です。